相対性理論入門
これはサークル内の雑誌に連載するものを書いてくれ!とたのまれて書いたものです。 文系の人もたくさんいるので、相対性理論に必要なもの最低限をすべて説明し、 わかりやすく伝えようとしました。とりあえずのっけます・・・当然自分なりにまとめたものですから 不適切な表現、正しくない解釈がかなり存在するはずです。ご指摘していただければありがたいです。 また誤字脱字もきっとありますが、それは見逃してください。
随時更新の予定 です。

その0「読み方」


わかりやすいように、キーワードごとに短く区切ってあります。このキーワードがすごく重要で、最低限キーワードについての漠然としたイメージをもてるぐらいは理解してください。そうしないと、きちんとした話の筋道がわからないです。科学が作られた背景はきちんとした理由があり、日本史のようにちゃんとした流れのもとで作られています。いろいろな問題が出てきて、それを解消するためにはどう解釈すればよいか…みなさんも不思議なことを一緒にかんがえてみてください。最後まで読めばすばらしい知識となるように書いていきたいです。

その1「ガリレイ変換」

電車に乗っていて外を見ると、外の景色が後ろに流れていきます。それは誰もが知っていることですね。"相対速度"というものを聞いたことがあるかもしれません。

相手のみかけの速度=相手の速さ−自分の速さ

というような式で求まります。たとえば相手が止まっていて、自分が10キロで走っいると相手は10キロで遠ざかっているように見えます。これはあの有名なガリレオガリレイさんが見つけたことなので、「ガリレオ変換」といいます。ではもっともっともっともっと速いものから速いものを見たらどう見えるでしょうか?たとえば光から光を見たらどうみえるでしょう。「ガリレオ変換」では、2倍の光速で遠ざかっているように見えると結論されます。 「ガリレイ変換」は、簡単に言うと「時間がどこでも一定に流れている」という条件から導かれます。光から光を見たらどうなるのか?これは今の時点では結論が出ませんから、あとにまわします…

その2「速度は相対的」な物理量

「相対」という言葉が出てきましたね。しかし難しく考える必要はないです。相対的の反対語は「絶対的」です。つまり速度とは絶対的な量ではなく、見る人(基準)によって変わってしまうものなのです。簡単に言えば、今僕はねっころがってキーを打っています。当然止まっていますが、太陽から見れば僕はものすごい速さで地球とともに自転して、公転しています。銀河系から見ると、銀河も回転しているらしいので、もっともっと複雑に動き回っていることになります。このように速度というと、「なにかに対して速度」、つまり基準が必要です。みなさんが「動いている」とか「止まっている」とか使うときは、ほとんどの場合地球に対しての速さとして使っていますね。なにか絶対的な基準があって、それに対して速度というものを定義してしまえば、速度は絶対的な量になります。そんなものはあるのでしょうか?

その3「宇宙に座標」はあるか?

もし宇宙に基準となるような座標があれば、速度が絶対的な量として定義できます。しかし少なくとも速度 (ニュートン力学) の世界では、宇宙には座標というメモリはありませんでした。ではほかのものに関してはどうでしょうか…?

その4「光」は波か?

100年ほど前、光は波の性質を持っていることがわかっていました。たとえば、屈折や散乱や干渉などがそうです。皆さんもご存知のように、波というものはそれを伝える媒質がないと波が起りません。具体的には、海の波…これは海がないと波が起りません。音も空気や水などの媒質がないとだめです。野球場の人のウェーブも当然人がいないと話にならないですね。まあー当たり前のことかもしれません。しかし光は別で、太陽の光などは何もない真空を伝わってきます。昔の人は真空中を波が伝わるとは理解できないから、「真空とは、本当はエーテルという物質で満たされていて、それを媒質として光は伝わってくるのだろう…」と、考えました。真空とは何もないから「真空」というはずですが、なにもないけど実はエーテルで満たされているのだ!と解釈しました。そして、そのエーテルこそが「宇宙の座標」ではないか?という期待も生まれました。その後当然エーテル探しがはじまりました…

その4「エーテル」ないけどある!?

エーテル、当然FFとは関係ありません…(すいまへん)。もしエーテルが宇宙空間を一様に満たし、一様に流れていたら、エーテルは宇宙の座標となることができます。エーテルを宇宙に対する運動の基準とできるのです。 ちょっとエーテルが流れていると仮定しましょう。エーテルの流れている方向に進んでいる光は、エーテルの流れに逆らって進んでいる光よりも速く見えるはずです。これは川の流れに沿って泳いでいる人と、川に逆らって泳いでいる人を比べると、川に沿っている人のほうが速いのと同じことです。もしエーテルがあるなら、同じ光でも発射する方向によって速度が違うはずです。その考え方が正しいかどうかを試す実験が行われました… {物理科向け注…マクスウェル方程式に光速度Cが含まれる問題などもあるが、詳しくは私の理解不足と少し難しいために省く。簡単には「物理法則が慣性系によらない」ということに反するためみたい。それにより、特殊相対性理論が導かれる。「どんな系に対しても物理法則は不変である」という条件から一般相対性理論は導かれるらしい…}

その5「マイケルソン、モーリーの実験」

マイケルソンさんとモーリーさんが、エーテルの流れを調べるための有名な実験をしました。




その実験とは、まず北に光を発射します。Lメートル離れたところに鏡が置いてあって、それに反射して光が返ってきます。その光が一往復する時間を測ります。次に方向を変えて、Lメートルはなれたところに鏡を置いて、同様に光が返ってくる時間を計ります…。光がエーテルを媒質として進んでいるなら、たとえ距離は同じでも進む速さが違うから、跳ね返ってくる時間が方向によって変わるはずです。

気になる実験結果というと… なんと方向によらずに同じ時間で跳ね返ってきたのです!!!これはいったいどういうことでしょうか?

その6「復習」

光は波だ!このことから「光は真空中を伝わるのではなく、なにか媒質中を伝わらなければいけない」と、いうことになりました。光はエーテルという媒質を伝わっているのではないか?そういう仮定のもと、エーテルの流れを測定する実験をマイケルソンさんとモーリーさんがしたのでした。しかし結局エーテルの流れは検証できず、結果として光の跳ね返ってくる時間はどの方向も同じでした…

その7「あるのか?エーテル」

この実験の解釈はとても難しいです…いろんな人が、いろんな意見を言ったことでしょう。まずエーテルはあるのか、ないのか?これが大きな問題です。もし地球の運動とエーテルの流れがまったく同じなら、地球から見るとエーテルの流れは止まっていることになります。だからすべての方向の光は同じ時間で戻ってきても理解できます。しかし「速度は相対的」で書いたように、地球は複雑な運動をしています。ですから、エーテルの流れと地球の運動が同じとは考えにくいです。1000年前なら「地球は宇宙の中の特別な場所で、エーテルは地球の運動の方向に流れているのだー!」と、簡単に解決できたでしょう。 問題はをまとめてみると、
@ 、エーテルがあるとしたら、なぜこのような実験結果になったのか?
A 、エーテルがないとしたら、光の速度はどうなるのか?媒質は?
エーテルがあるにしろ、ないにしろ、この問題を解決しなければいけません… みなさんはどう思いますか?ちょっと考えてみてください。

その8「ローレンツさんのこの実験の解釈」

この方は、ローレンツ力(物理で、電流が磁場によって力を受ける法則、フレミングの左手とかなんとかの力)の名前の「ローレンツさん」です。ローレンツさんは「エーテルがある」と考えました。では、実験結果についての問題はどうしたのかというと、「エーテルの流れの圧力によって、物の長さが縮むのではないか」と、考えました。詳しくは計算しませんがどういうことかいいます。まず「エーテルはたしかに流れている」と、考えます。すると速度は当然方向によって違いますから、跳ね返ってくる時間も違います。しかし、ここで先ほどはすべての方向をLメートルとして考えましたが、実はエーテルの圧力を受けて、エーテルの流れの方向によって長さが縮んでいるのだと考えました。つまり「光がどの方向も同じ時間で跳ね返ってくるという、つじつまが合うように、方向によって距離の長さを換えてしまった」のです。さらに、もし人がエーテルによって縮む長さを測定しようとしても、ものさしの長さもエーテルの圧力によって縮んでしまうから、それを検出することはできないだろう…と考えたのです。まぁなんか都合がいいように勝手なことをやっているようですが、たしかに勝手なことをやっていますね。この都合のいいように距離を変換することを「ローレンツ変換」といいます。 もしかしたらここで、「ローレンツ変換」って名前が残っているぐらいだから、きっとエーテルはあるんだろう!とか考えている読者もいるかもしれませんね…まぁゆっくり考えながら読んでください。

その9「アインシュタインさんの考え」

ついに主役の登場です。初めて彼の名前が出てきて、僕も少しうれしいです。すこしの不安は、ここまでみんなが図もなしに、さらに僕のへたな文章で理解できるかどうかです…。 アインシュタインさんはAの考え方をしました。エーテルなんてあるはずがない。彼はそういう信念があったのかもしれません。「エーテルがない」となると、光の速さはどうなるのでしょうか?また何を伝わってきているのでしょうか?まずは「光の速さ」について、彼はどう考えたのでしょうか。

その10「マクスウェル方程式」とアインシュタインの考え

それは「マクスウェル方程式に光の速さが入っている」ということから、エーテルなんてないんだ!と、考えたようです。マクスウェル方程式とは、光に対する運動を決める方程式です。「物理法則とはどんな速さで動いている人から見ても、同じ形をしていなければいけない」という考え方があります。難しく言うと、「物理法則は慣性系によらずに一様である」って感じです。しかし、速度は見る人によりますから、光の速さも見る人によってしまい「マクスウェル方程式」の形も変わってしまいます。アインシュタインは「物理法則は慣性系によらずに一様である」という信念を持っていたので、光の速さが見る人によって変わることをおかしく思ったのでした。つまり「光の速さは見る人によらずに常に同じである!!!」と考えたのでした。(慣性系とは、等速度運動している状態の系。力がかかっていない状態のことです)

その11「光の速さは見る人によらない!!」

たぶんなんだかわかったような、わからないような感じだと思います。しかしちょっと例をだすと、直感的には理解できないような現象だとわかります。 たとえば、懐中電灯があって光を出しているとします。僕がそれに向かって走っていっても、遠ざかるように走っていっても、どんな速さで動いていても、常に光の速さは同じであると彼は考えたのです。なんだかとても不思議な話です。しかしきっと彼にとっては、慣性系によって変わってしまうマクスウェル方程式よりも、慣性系によらない光の速度のほうが自然に思えたのでしょう。だから、こんな直感ではわからないことを仮定できたのでしょうね。

その12「光は波…だけ?」

では、「真空中を波が伝わるのはおかしい」という、媒質についての問題はどうなったのでしょうか?光は屈折とか、いろいろな波の性質を持っていることはすでに説明しました。しかし、「たしかに波の性質を持っているが、すべてを波の性質で光を語れるのか?」というような問題があります。本当に光の性質は波だけなのでしょうか?実は光は粒子としての性質も持っているのでした。光が粒子としての性質をも持っていれば、真空中を伝わってくるのが特に不思議ではなくなるのではないですか?この光の粒子性を発見したの内の一人が「アインシュタイン」さんでした。つまり、きっと彼は「光は粒子としての性質も持っているから、エーテルなんてなくてもよい!」と考えたのかもしれません…。アインシュタインさんはノーベル賞を受賞していますが、相対性理論の発見ではなく、この光の粒子性の発見(光電効果)についてもらっています。意外でしょう?

その13「光とは?」すこし量子論…

光は波だ!と初めにいっておいて、ここにきて突然「光は粒子の性質もある。」とは、なんだかいい加減な気がするかもしれません。光がどういう粒子性を持っているのかは、ここでは話すのを避けて、もっと一般的で重要なことについてをいいます。「すべてのものは粒子と波動の2面性を持っている」のです。「もの」とは素粒子のことで、光、電子、中性子、陽子、中間子…などです。電子は粒のような粒子と学校で教わったかもしれませんが、実は波の性質も持っているのです。たとえば「電子顕微鏡」は電子の波を使ってものすごく小さな物を見ることができます…。まあ、原子や電子などの素粒子は、ものすご〜〜〜く変な性質をたくさん持っていて、わけがわからないです。そんな変な性質を持っていないと、性質が豊かな100種類以上もの元素を、「陽子」「電子」「中性子」の3種類だけで作れるはずがありません。

その14「すこしだけ素粒子論」

ここは相対性理論とはあんまし関係ないです。ページかせぎしないと、6回も相対論できそうにないからね…まぁだから飛ばしてもいいっす(けどおもろいかも)。光は素粒子論では光子(photon)とよばれ、粒子のように扱われています。しかし、当然波の性質も持っています。質量はなんと0!!質量がないんです。なんか不思議ですね。このことが統一理論では、ちょっと重要になってきます。 この世の中には「力」が4種類あります。たった4種類しかないんです。重力、電磁気力、強い力、弱い力。この4つです。重力と電磁気力はみなさん知っていますよね。あとの強い力と弱い力は、別にふざけているわけじゃなくて、ほんとうにそう物理学者は呼んでます。英語を直訳したからそうなったのでしょう。強い力とは、原子核中の陽子を狭い範囲に閉じ込めておく力です。考えてみれば原子核は、ものすごく近い距離に陽子が密集しています。この時にはものすごいクーロン力の反発力がかかって、狭い範囲に閉じ込めておくには「ものすごく強い力」が必要になります。その力が「強い力」です。「弱い力」は核分裂のときとかに働く力のことです。この4つの力を統一的に扱うのが統一理論で、まだ4つを統一的に扱うことはできません。あのアインシュタインさんも晩年は電磁気と重力を統一しようとしましたが、失敗しました…。また機会があれば、もっとくわしくお話します。

その15「復習」

エーテルを探す実験をマイケルソンとモーリーがしました。その結果は「どの方向にも光は同じ速さで伝わっている」というものでした。その結果について、ローレンツは距離がエーテルの圧力を受けて縮むからだ!と考え、一方アインシュタインは「光というものは誰から見ても常に同じ速さである」と考え、エーテルはないとしました…どちらが正しいのか?はたまた両方とも間違っているのか?

その16「光速度不変の原理」アインシュタインの勝ち

光は誰から見ても同じ速さである!このことを「光速度普遍の原理」といいます。アインシュタインさんがこの「光速度普遍の原理」を用いて、いろいろと計算した結果と、実験結果が一致しました。だからエーテルはなくて、「光速度普遍の定理」も成り立ちます。物理学の大事な定数が3つあって、光の速さはそのうちの一つらしいです。後の二つは「プランク定数」と「万有引力定数」みたいです…。

その17「導かれた結果」

その、彼が「光速度普遍の原理」から導いた理論とは、どんな理論なのでしょうか。まずは、「光の速さを超えることはできない」と、いうことです。つまり宇宙で一番速いのは、光みたいです。なぜかということは、たぶん「因果律」や「物理法則が慣性系によらないこと」から導かれるんだと思います(まだ僕にはわからないっす)。ここで単純な疑問が生まれます。光の速さで走る宇宙船Aと、光の速さで走る宇宙船Bがすれ違ったときには、お互いに光の速さの2倍の速度で見えるのではないか?と、直感的にはそう思います。もしそうなら、いきなり「光の速さを超えられない」に矛盾してしまいますね…どうなっているのでしょうか?

その18再び「ガリレイ変換」

「ガリレイ変換」。憶えてますか? 自分からみた相手の速度=相手の速度−自分の速度 のことでした。光速の宇宙船A、Bの問題は、この「ガリレイ変換」を直感的に使っているから起きる問題なんです。「ガリレイ変換」が成り立ってしまっては、「光が一番速い」ということを満たさなくなってしまいます。「ガリレイ変換」は、時間がすべての場所で一様に流れていることから導かれました。だから、アインシュタインさんは、「ガリレイ変換」が成り立たないようにしました。つまり「時間が動いている人による」というような、きわめてわけのわかんないようなことを仮定したのでした…。そうして計算すると、光速の宇宙船A,Bがすれ違うときに、「AはBが光速でやってくるように見える」のです!!光の速さから、光の速さのものをみると、やはり光の速さに見える…こういう不思議なことが起るのだろうと考えられました。光から光を見ると、光の速さに見える…やっぱ不思議です。

その19「時間」

「光の速さが一番速い」。このことに関する問題は、解決することができましたが、もっと大きな問題が新たに現れました。さきほど「時間は動いている人による」、物理用語でいうと「時間は慣性系による」と、いうような仮定をしました。たとえば、「みんな時刻あわせされた正確な時計を持っていて、次の日に時計を見比べると、みんな時計がずれている。もちろん時計が壊れたわけではなく、時間がずれたのです」。こんなことが起る!!と、いっているのです…そんなこととても信じられませんね

その20「信じられないけど、けど真実」

さきに「実験結果と理論が一致した」といいましたが、この時間のずれも実際に理論的に計算され、それが実験結果と一致しているのです。その「時間のずれ」は、日常生活をしていたぐらいでは、まったくといっていいほど変わりません。0.001秒もずれません。安心してください。けど、宇宙船とかで光速に近い速度で運動していたら、かなり遅れてしまいます。エイリアン2はまさに相対性理論で時間が遅れることが描かれています。(エイリアン1を見た後に、2を見ればよい)

信念を貫く人「アインシュタイン」

ちょっとここで息抜きです。アインシュタインさんはすごい。なにがすごいかというと、自分の信念を貫き通し、それによって理論を築くところが最高。まずは「光速度普遍の原理」。力学では宇宙に基準点はないから、電磁気学にも基準点はあるはずがない!というような信念を感じる。次に一般相対性理論での「アインシュタインの宇宙項」と呼ばれるものについて。 宇宙について一般相対性理論をつかうと、宇宙は膨張し続けるか、縮んでつぶれてしまうかの2つの解が出てきてしまうらしい。しかし、彼は「宇宙とは永遠に普遍的なものである」と、考えていたために、宇宙が変化しないように勝手に「宇宙項」というものを付け加えてしまったという。結局その後「ハップルさん(望遠鏡の名前の人)」が、宇宙が膨張しているのを発見した。アインシュタインさんは間違っていたのだ。後にアインシュタインさんは「宇宙項は生涯で最大の失敗である」と、語ったらしい。 しかし、最近の宇宙理論では宇宙項が重要な役割をしているらしい…。 最後に量子論での信念がある。量子論はすべて「確率」である。これにアインシュタインさんは納得がいかなかった。確率に頼るのは人間の知恵が足らないだけである。神様は電子の運動を知っているはずである!量子力学は「原理的に確率でしかわからない」といっているので、そこが気に食わなかったらしい。「神様はさいころを振らない」とは、有名な言葉である。量子論の生みの親の一人「ボーア」と大激突をすることになる。結局歴史は確率論の量子力学は超超大成功をおさめ、世界を劇的に変えた。(アインシュタインさんについての自分の解釈です) アインシュタインさんでさえ、間違えるのだから自分が間違えても恥じることはない。自分にとって信念を持って物理をやろうと思わせてくれる方である。

その21「わかった気になる時間の後れ」

ここで本などでよく使われている“たとえ”をだしましょう。きっと遅れているような気がすることでしょう。



向かいあわせた鏡をイメージしてください。その鏡の間を光が反射しています。その光が一往復する時間を1秒としましょう。こういうものを光時計といいます。鏡が止まっているときは、光はかがみに対して垂直に進みます。 黄色いのが光で、黒いのが鏡です。図1





しかし、光時計が動いているとき、光は鏡に対して垂直ではなく、斜めに進むことになります。斜めに進んでいるので、当然一往復の距離は長くなります。ここで「光速度普遍の原理」を思い出すと、鏡が動いているときは斜めに進みますから、光が一往復する時間が止まっているときに比べて長くなります。この長くなることが「時間の遅れ」としての説明です。 図2


たとえば、準光速で走る宇宙船があるとします。宇宙船のなかには石井君と光時計があります。石井君から光時計をみると、光時計はきちんと1秒で一往復して見えます(図1)。しかし、外で止まっている和田君が宇宙船の光時計を見ると、1秒より長い時間で一往復して見えます(図2)。これが「動いているものの時間が遅れる」という現象のよくある説明です…
(準光速で走る宇宙船に乗っている石井君、それを地上でうらやましそうに見ている和田君。この二人の観点に立って考えてみてください。これからちょくちょく登場することでしょう。相対性理論では「観測者」が誰なのか?これが大切です

その22「わからなくなる時間の後れ」

なんとなくわかりましたか?しかしすぐにわからなくしてあげますしょう。。ここで実は和田君も光時計を持っていたらどうなるでしょうか。速度は相対的な物理量ですから、石井君から和田君を見れば、和田君が光速で動いて見えるわけです。だから石井君が和田君の光時計を見れば、当然和田君の時間が遅れて見えるわけです。和田君から石井君を見れば、石井君の時計が遅れているように見える…いったいどっちが本当に遅れているのでしょうか?両方とも遅れているから、やっぱ時間は変わらないのか?こんがらがってきます…

さらに鏡が進行方向に対して斜めになっている状態、このときを考えても、一往復する時間は ちゃんと垂直なときと同じだけ遅れるのでしょうか?また、光の屈折のように、ただ光の往復する時間が 短くなるだけで時間が遅れるとは限らないのではないか?宇宙船の中で光時計の一往復する時間に合わせて、 石井君がぴょんぴょん飛び跳ねているとすると、止まっている和田君からはどう見えるのか?光時計にあわせてスローモーションで見えるのか、それとも光時計の周期とばらばらに見えるのか…?

自分が思いついただけでもこんなに疑問があります。みなさんはもっと思いつくかもしれませんね。 そう、こんな説明では「時間の後れ」という今までの物理学の常識を打ち下した現象を、正確には説明できません。 (ただし、ローレンツ変換の関係は導ける。が、光時計が時間の後れを説明できるとは思っていないということ)

その23「どうしよう…」

ここの問題はまだ完全には僕も理解してないです。しかし、なんとなくはわかっています。実は2人とも時間は遅れているのです。2人とも遅れるなんて意味がないじゃないか!!!と思うかもしれませんが、この場合時間が合わせられた時計群を石井の系と和田の系に配置して、その時計群同士を見比べて、その時計群同士の時間は遅れているということなのです。だから石井と和田の時計を直接比べたわけではなく、時計群同士を比べて、それがお互いに遅れているのです。考えてみれば、お互いの時計同士を直接比べられるのは、すれ違った時一回だけです。あとは時計同士を直接比べるのは不可能ですね。(時計群、二つの系の時計群が遅れる…など、ここでは難しい言葉をいきなり使ってます。だからわからなくてもいいです。雰囲気が味わえれば…とおもいました。詳しく知りたい方は、直接僕に聞くか、いい本を紹介します)

その24「ローレンツ収縮」

準光速で飛んでいて外の景色を見ていると、きっといつもの景色と違うことに気づくでしょう。 外の景色のすべてのものが、進行方向に縮んで見えるのです。このことを「ローレンツ収縮」といいます。 これは皮肉にも「その8」でローレンツさんがエーテルによって物の長さが縮むのだ!と、都合のいいように 導いた変換と同じものだったので、ローレンツ収縮というらしいです。そう、長さが縮んで見えるのです。 これの直感的な説明は…和田君が宇宙船を眺めています。その宇宙船は2秒間でなんと月までいってしまいました。 宇宙船で飛んでいる石井君の時間が遅れるとします。石井君の時計はゆっくり進みますから、 2秒より短い時間で月まで飛んでいったことになります。たとえば石井君の時計で、1秒で月まで行ったとなれば、 宇宙船の中の石井君から見れば月までの距離が短くなったように見えることでしょう。(光は月まで1.3秒で着きます)
先に鏡が傾いている場合を考えました。 この傾いている場合に関しても この「ローレンツ収縮」を考慮に入れれば、鏡が垂直の場合と同じ関係が導けます(昔自分でやってみた。だから違うかも…)

その25「宇宙からの飛来者」

おもしろい話があるんですが、資料がないとかけませんので後日書きます。

その26「離れた2点での同時性」

なんか難しそうなタイトルですが、まったく難しくないです。やはり準光速で走る宇宙船を考えます。 中には石井君が乗っていて、外には和田君が見守っています。


宇宙船の真ん中にレーザー光を発射する装置を置いて、それからレーザーを宇宙船の先頭と後方に同時に発射します。石井君から見ると、当然前と後ろに同時にレーザー光が到着します。しかし、和田君から見ると宇宙船は前に進んでますから前に進んでいる光はより長い距離を、後ろに進んでいる光はより短い距離を進むことになります。「光速度普遍の原理」より、宇宙船の後ろに先に光が到着して、その後に前に光が到着します。考え方としては光時計と同じような感じです。石井君から見ると同時なのに、和田君から見ると同時でない…これが「離れた2点での同時性は慣性系による(観測者による)」ということです。


また、石井君から見て一秒間で同時に前と後ろに着いたとします。和田君から見ると、一秒より早い(短い)時間で 後ろに着き、一秒より遅い時間で前に着きます。このことを考慮に入れると、宇宙船の先頭では 後ろよりも時間が遅れていることになります…それは石井君には一秒なのに、和田君には一秒より長い時間で 先頭に光が到着する、つまり先頭の時間が遅れている。逆に後ろの時間が進んでいるということになります。 場所によって時間がゆっくり進んだり遅く進んだりするのではなく、「時計が進んでいるか、遅れているか」の違いですので、 そこの区別、理解をよろしく(やっぱ難しいかな?)。 (こういうのを思考実験といいます。それは実際に行ったわけではなく、実験できないことを頭の中で空想的に行った実験のことです。思考実験でしか考えられなかったことが、実際にできるようになった実験も数多くある。)

その27「時計をならべて…」

やっぱし、今の時間が進んでいるか遅れているかの意味が難しいです。 くわしくやってみましょう。

ここで宇宙船の中に時計をならべてみます。 時計は等間隔にならべられて、さらにすべての時計が同じ時刻を刻んでいるとします。 今石井君が時計を並べて、すべて12時ちょうどを指していて、レーザーの発射と同時に動き出したとしましょう。 この時刻あわせされている時計を並べたものを、「石井君に対する時刻あわせされたと時計群」と呼びます。 このとき、外にいる和田君から「石井君の時計群」を見るとどう見えるでしょうか? (図は石井に対する時刻あわせされた時計群)




重要

一秒後に「石井君」から見ると、同時に光が先方と後方に到着します(当然)。 しかし和田君から見ると、一秒より遅く先頭に光が着きます(1秒より長い時間で)。 着いた瞬間に、和田君が「石井君の時計群」の先頭の時計 を見ると、その時計が12時1秒を指していないといけませんね。 一秒より遅い時間で和田君は観測するのですから、「和田君」が見ると、光が出た瞬間には「石井君の時計群」の先頭は、はじめから12時前を指していたことになります!!!(たとえば11時59分とか) ここの所は重要でおもしろい所だから、意味が分かるまで何度も読み返してみてください。 これがまさしく時間の後れのからくりだと思います(僕は)。 (図は石井に対する時計群を和田が見た場合)

ちょっとこんがらがってきましたねぇ。まとめてみます。
石井君が並べた時刻あわせした時計群、光を発射した瞬間にはすべての時刻が12時を指しています。 しかし、和田君からその「石井君の時計群」を見ると、先頭では12時前を指していて、後方では12時すぎを指しているのです。 これはかなり不思議なことです。つまり、和田君から見て光が前後にそれぞれ到着するときに、「石井君の時計群」 が12時一秒を指していないといけないということです。これは、誰から見ても、ある「一点での物理現象は同じ時刻に起らなければいけない」ことを表わしているのだと思います。これが崩れれば、未来を知ってしまったりできるというわけです。 「その23、どうしよう・・・」で書かれている時計群とは、この ことです。時間の後れとは、時計群同士を比べて、その時計群がお互いに遅れているというわけです(たぶん)。
(この辺になってくると、「主語」、「述語」がめちゃくちゃ大切になってきます。誰がどうしたのかを明確にして、図を書いて理解しようとすれば、決して難しい問題ではありません。しかし、その現象は 不思議でありませんが…)

その28「一点での同時性」

もし、ある一点での同時性が観測者によってしまったらどうなるでしょうか。その一点で起る現象が 見る人によってしまったら…これはアインシュタインさんが嫌った「物理法則は慣性系によらない」という 大前提に反してしまいます。だから、一点での「同時は慣性系によらない」。つまり観測者によらずに、どういう速度で動いている人が見たって同じように見えなければいけないはずです… ここでちょっとした同時性に関する問題を上げてみましょう。

その29「端っこからのレーザーの発射」

その26で考えた思考実験の逆を考えてみよう。端っこから同時にレーザーが発射されたとする! 宇宙船の石井君からみると、真ん中に左右のレーザーが同時に到達する。しかし、 そとの和田君から見ると、先頭のレーザーが先に真ん中に着き、後方のレーザーが後から真ん中に到着してしまう。 「真ん中」という一点に関しての「同時性」が、「観測者」によってしまっている…これはどうしたことか?

その30「やっぱし離れた2点の同時は観測者による」

まず、タイトルの意味がよくわからないでしょうが、「離れた2点の同時性が観測者による」 というのが、なかなか常識とかけ離れているっていうことです。 ここで問題となるのは「端っこから同時にレーザーが発射されたとする…」という所です。 離れてますよね?そう、この「同時に発射」というのが、見る人によって同時ではないのです!!!

では、石井君が見て、レーザーが同時に発射されたとします。その時はたしかに真ん中に左右のレーザーが「同時」に着くのを、石井君は観測するでしょう。ここで問題になってくるのは、「和田君から見ると、レーザーは同時に発射されない」のです 。時計は前が遅れていて、後ろがはじめから進んでいたのでした。 だから、石井君から見て、「石井君の時計群」が「12時」のときに同時に前後から光が発射されたとします。 和田君がその現象を見ると、前が12時前を、後ろが12時過ぎを指しているので、後ろから先に光が発射され、 その後に前から光が発射されることになります。 「光速度普遍の原理より」後ろの光の方が長い距離、前の光の方が短い距離を進まなければなりませんから、 うまくつじつまが合ってくれそうですね。実際に時間の遅れ計算してみると、和田君から見ても同時に光が真ん中に着きます。

逆に和田君から見て同時にレーザーが発射されたときを考えます。 和田君が見ると当然同時に中央に着きません。このときは石井君から見ると、前から先にレーザーが発射され、 その後に後ろから発射されます。だから同時に光が中央に着かないのはあきらかです。 (逆にこの場合を和田から見ると、レーザーが同時に発射されているように見えるとも解釈ができる)
その31「さて…」

僕が相対性理論について知っていることは、もうほとんと書いてしまいました。 だから初めに、「読んでくれた方が、少しでも相対性理論やほかの物理学に興味を持ってくるような物を書きたいなぁ」と思っていましたが、出来上がったものはそんな生易しいものではなく、 「理解しようと少し努力しないとわけのわからないような物」ができあがってしまったみたいです。 しかし、きちんとして読めば不思議な世界が開けることでしょう

大雑把にまとめると、

その1〜15、真空中の光は何を伝わるか?光とは?エーテルの解釈など…この章で 光についての不思議な所を紹介しようという気持ちでした。また初めに簡単な言葉とかについても説明してます。 どちらが正しいのか?というのでわくわくしてもらえたら…と、願って書きましたがどうでしょうか?

その16〜20光速度普遍の原理、相対性原理、時間の遅れなど…この章で とりあえず相対性理論の結論をどか〜んと出しました。そっちのほうがすっきりするかな?と。 「ガリレイ変換が成り立たないから時間が遅れる」というのはすごく強引で、正しい議論かどうかはわかりません。 ある本の受け売りです。 ただし、ガリレイ変換は「時間がすべての場所で一様に流れている」と、いう暗黙の了解のもとで導かれます。

その21〜22光時計での時間の後れの説明…この21のような説明は本当にいろんな本で出てきますが 、実際22のような疑問が出てきます。ひどい本だと21だけで時間の後れを説明しているのもありました。

その23〜30…もうこの辺はかなり難しいような気がします。 僕は本をただ読んでいるだけだったので(手を動かさなかった)、なかなか理解できませんでした。 むしろこの章を書きながら理解を深めていったようなものです。


ちなみに、これを書くにあたって何か本を見ながらとか、写したとかではないです。 一番最後に読んだ相対論の本でさえ1年前…そんなわけで、自分の記憶、考え違いがあったらそれまでです。 ただし、光時計の所の時計の後れとかは記憶ではなく、自分の頭で時間の後れとかを確認していったから、 たぶんだいじょうぶなはずです。しかし、このページで何度もいうように「過信はしないでください。自分のためですよ…」
(しかしここでの議論すべてが正しいと思ってはいけない。それは私が書いた文章であるからというのはもちろん、ここではまったく数式で議論されていないからだ。そして、「光速度普遍の原理」、「相対性原理」という二本柱を仮定した結果、ここで書いてあるようなことが導くことができてはじめて、正しいと思ってもよいだろう…「自分で実験して確かめないと信じられない」という人がいてもも当然結構だと思う。それほど相対性理論の現象は分からないものだと僕は思っている)




とっぷぺーじ